2010年08月01日
ジオ・ツアー>あがり浜

歩き出した途端、潮の引いた海岸線にはウミヒルモとリュウキュウスガモ
の混生した海草藻場が広がって、遠浅のリーフが続いていた。
元々は南北ふたつの島が、両島の間に砂が堆積し南北に山地を持つ一つの
島になったと言われる。3500年以上前に人々が住みつき、東貝塚に痕跡が
残されている。500〜600年前になると豪族が現れ、13世紀にはグスクが
出現し、その時代の「里遺跡」は今も村の祭事の中心です。
また17世紀には久米島、渡嘉敷島などと並び、行交う船の監視、通報のた
めの烽火台が配置された。20世紀に入るとカツオ漁業が主産業となり、
港はこの東側にあったが、カツオ漁の衰退と共に、港は西側に移された。
Posted by 北限のジュゴン調査チーム・ザン at 23:39│Comments(0)