2010年07月27日

歴史・文化調査>久米島(奥武島、オーハ島)

久米島東海岸には2つの有人島、奥武島とオーハ島があり、その先の沖合に
細長く5Km以上も続く砂洲の「はての浜」があります。
かつては奥武島住人は徒歩や潮の満ちた時間には竹馬で渡島し久米島へ通勤
通学していましたが、1982年に海中道路が造られてからは海流が変化し、中
間点にあった砂州や海底が非常に深くえぐり取られ危険なため潮の干満に関
わらずそのような渡島は禁止されています。
地元の人々は生活の便利さと引き換えに失った懐かしい風景を愛しげに語り
ます。奥武島には糸満漁師が渡ってきたと言われています。




Posted by 北限のジュゴン調査チーム・ザン at 13:09│Comments(0)
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