2010年02月25日

北部戦跡

2月21日、「1フィート運動」のよびかけで「戦後65年企画・戦跡調査
パート1」北部(山原)の沖縄戦跡めぐりに参加した。
65年前の4月に米軍が沖縄島に上陸後、沖縄各地が米軍の占領下になり、
中南部の凄まじい戦闘や犠牲は多く知られているが、北部での被害につ
いてはまだまだ周知されていない。当時、学童で徴用された地元の方の
案内で、伊江島から敗残兵として各地で被害を拡大した宇土部隊の足跡
を追った。慰安所跡から八重岳の野戦病院跡、草木一本なく遺体の山だ
った真部山、地元三中の学徒50名の犠牲者の碑、多くの犠牲者を出した
潜水母艦「迅鯨」の沈没現場などを、当時の様子を詳しく聞くことが出
来た。当時の学童もすでに高齢に達し、今、亜熱帯の森や海に密やかに
隠されている歴史的事実に向き合い、後世に伝えることは私たちの責
務であろう。ご案内頂いた方々は、私たちの小さな質問にも丁寧にお答
え頂き、もう二度とあのような悲劇をこの島に起こしていけないという
情熱に溢れていた。このような出会いは、やんばるに暮らす私たちにと
って貴重な財産であり、これからも勇気を持って(本土の兵隊の犯した
罪の重さに気持ちが塞がるが)知って行きたい。
写真は真部山で300名余の犠牲者を出した宇土部隊(清末中隊)の篤井
隊の自決跡で当時の恐ろしい様を説明する渡久地昇永さん。




Posted by 北限のジュゴン調査チーム・ザン at 12:55│Comments(0)
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